さかいあつし

ステイトメント

私はさしたる目的も無く大学で法学を専攻した後、さしたる目的も無く企業に2年間在籍しました。
1990年代の日本において、多くの若者が私の様に無為に社会と関わる進路を選択しました。

そのような選択はかならずしも一般的ではないが、珍しいことでもありませんでした。
人生の早い段階で進路を選択して、それぞれのプロフェッションを作り上げていく教育制度を持つ国とは随分違う環境で育ちました。

私は、自我の成長過程で形作られた何かしらの欠落感に気付き、取り戻すベきものが何なのかを探すために、まずは人との関わり方を見つめ直し、暮らしを見つめ直し、そこで使われるものを見つめ直すことで人生の軌道修正を図ることにしました。

既に結婚していた私は、美術教育を受けたり、徒弟制度の中で修行する時間的、金銭的余裕がありませんでした。そこで実際に遭遇した人や出来事から自分の人生を振り返り、気付いたことを生活に役立てることにし、製作する物に還元していくことを20年続けてきました。

私は工芸家として、職歴の早い段階でスプーンに着目しました。
赤ちゃんから老人まで幅広い年代がお世話になるこの道具は今や日本において必要不可欠なものですが、食事をするための道具としては伝統的なものではありません。
触覚的に木製品を口に運びたいという嗜好の中に木製スプーンの存在価値があり、仕上げ塗装に漆(東南アジア一帯で採取される漆という木の樹液)を使うことで
日本文化のひとつのしなやかさを表現できるのではないかというところに製作上の面白さを感じています。
私が日本で生まれ、日本で考えてきたことの良い面を充分に生かすために、また一方その文化背景だけに囚われないように日常の些細な事に関心を払い、注意深く観察して私の役割とは何であるかを常に考えています。

工芸家として美しいものを指向することは意義あることだと理解しますが、微笑ましいものを作ることが私にとっての役割と考えています。
私にとって美しいものとは、地面に落ちている一粒のドングリであり、風に揺れている木々の葉のことであり、絶対的な存在です。
それらを私が再現することは不可能であり、私の役割ではありません。
散歩に出掛け、辺りに目をやりさえすればよいのです。

良くも悪くも、しなやかな文化の中で相対的であることの価値に触れてきた私にとっての役割とは、美しいものから得た気付きを微笑ましいものに変換していくことではないだろうかと考えています。

さかいあつし